Serizawa Kamo - 芹沢 鴨 (1830?-1863) Lý lịch trích chéo
Tên | 芹澤鴨光幹 Serizawa Kamo Mitsumiki (Cần Trạch Áp Quang Can) |
Tên cũ | 下村嗣司 (Shitamura Tsuguji) |
Nơi sinh | 常陸国芹沢村 (làng Serizawa, Hitachi) |
Thời gian trong Shinsengumi | 1863 |
Chức vụ | Cục trưởng Shinsengumi |
Dòng kiếm | 神道無念流 (Shindo munen ryu: dòng Thần Đạo Vô Niệm) |
Ngày mất | 35 tuổi/ Mất ngày 28/10/1863 |
Mộ | 壬生寺 Chùa Mibu |
芹沢城城主の裔と言われる芹沢貞幹の三男として生まれる。幼名は龍寿。
浪士隊として江戸から京へ行き、新選組を結成するまでの彼については、はっきりしていない。
水戸の浪士で、天狗党の一員とも言われているが、水戸藩側には、彼の記録はない。
が、芹沢家の家系図(鴨の兄の子孫の血筋は続いている)をみると、その先祖は桓武天皇にまで遡れる。
従って、鴨のエピソードは新選組時代の約半年間に集約される。
普段はいつも酒を飲んでいて、酒乱だった。酒が入っていると(いつも酒が入っていたが(笑))凶暴になったらしい。
一説によると彼は、梅毒にかかっていて、その恐怖から酒が放せなかったのだとも、梅毒のせいで脳を冒されていたのかも、とも言う。
色が白くて背が高く、巨漢巨体だったらしい。
紋は、丸に開いた扇紋で人並み以上に大きかった。
酔って帰って女と同衾しているところを、殺された。
あまりの乱暴に腹を据えかねた会津藩からの指示で、歳三らが殺ったと言う。
八木家の幼女が亡くなったとき、鴨は勇と二人で受付を手伝っている。
暇なときは二人で、絵などいたずら描きをしていた。